あえて「生徒の意をくみ取らない」ということ

こんにちは。小田島です。

今回は、対話型アクティブラーニングの公開授業をしていて質問を受けたことについて書きたいと思います。それは、授業後の研究会で、中学校の先生から出された質問でした

「生徒の意をくみ取らないのはなぜですか?」と聞かれた

なるほど、と思いました

確かに、私の授業「対話型アクティブラーニング」は、生徒を思考の渦に巻き込むために様々な工夫をしているのですが、初めて見る他校種(特に、小学校、中学校)の先生からは「もっと生徒にヒントを与え、喉まででかかっているんだけど、うまく話せない生徒の「意をくみ取って」君が言いたいことは、こういうことだよね」的なことを言わないのがモヤッとするようです。

この質問は、数回受けたことがあり、以前は個別で立ち話での質問だったんですが、今回は岩手大の先生がいる中での研究会で発言されましたので、こうして記事にしておこうと思い立ったわけです

「意をくみ取らない」のは、「あえて」と言うことを知って欲しい

僕は「発問している立場」なので、ゴールを知っています

ゴールを知っているので、ウマく発問の中で生徒を誘導し、その中でも良い意味で混乱させながら、思考の渦に巻き込み、頭をアクティブにして色んな意見を聞き、自分なりに考え、そして、その中でゴールに近づいていく、という形で授業を進めるようにしています

ですから、生徒が「惜しい」発言をしたときこそ「我慢のしどころ」なのです

一発で答にたどり着くようなヒントでもなく、でも、遠すぎるヒントでもない、「絶妙な距離感のヒント」を生徒に与え、さらに生徒を思考させることが目標なので、当然ですが「君の言いたいことはこういうことでしょ」という「意をくみ取る」ことは「あえて」しないのです。別に意地悪しているわけではありません

進度は稼げず、時間も一見無駄になっているように見えるかもしれませんが、確実に生徒の頭はアクティブです

こういう「考えるクセ」「自分の言葉で表現する練習」「他人の意見から、自分の考えを深める練習」をしておくと、普段の会話も変わってくるモノです

ですから、私は「あえて」生徒の意をくみ取らずに、回りくどいヒントを与えて、のらりくらりと遠くから生徒がやってくるのをゴールで待っている、と言うワケなんですね

こういうやり取りをしていると、ひょんなことからゴールにたどり着く生徒が、必ずしも上位の生徒では無い場合が結構あるんですね

逆に、ヒントが適切だと、上位の生徒はパッと答えてしまう場合が多いので、なんというか、面白くないんですよ。ええ。

生徒の意をくみ取って、「君の言っていることは、大体正解だから、後は先生が補足するよ」って、生徒の思考のチャンスを奪っているように僕は感じてしまうのです。その「最後の一歩」を考えさせることこそが「授業」だと思っていますので

苦しめば苦しむほど、生徒は正解が出たときにうれしがり、そして、悔しがります。こういう経験を授業でさせられる、と言うのが将来社会でも生きるんじゃないかな、と思ってやっています

こんな理由で、僕は、敢えて生徒の意をくみ取らないやり取りをしているわけなんですね

慣れると何でも無いんですが、もちろん、学年、学校、クラス、微妙に「ヒント」を変えていかないとイケないので、こればかりは「経験」がものを言うのですが、ある程度慣れてしまうと微調整で何とかなる場合が多いので(例えば、今年度お邪魔した越喜来中学校での出前授業も、あえて意をくみ取らず、生徒を焦らして思考させたわけです)生徒は「思考を楽しむ」ようになりますので、面白いと思います

ぜひ、やってみていただければと思いますし、来年度(平成31年度)も岩手大が来校しての公開研究授業を行う予定ですので、大船渡高校まで遊びに来ていただければ幸いです!

では、また次の記事でお会いしましょう!